教員インタビュー
教員生活をインタビュー
学校での生活やプライベートまで・・・
ジュディー先生(以下、ジュ)、インタビュー(以下、イ)

- 所属 : 嘱託教授 応用言語学 担当
- 名前 : 野口ジュディー津多江 先生
- インタビュアー : 橋本、泉、西田
先生は常に大きい鞄を持ち歩いていますが、何が入っているんですか?
- ジュ : あの鞄の中身にパスポートを入れたらいつでも海外に行ける感じなの。ハードディスク、大量のUSBメモリ、場合によってはコンピューターも入っています。
そして、海外に行くとどんな天気になるか分からないから羽織りもの。以前、真夏にイギリスに行ったとき、熱波で亡くなる人が出ると聞いていたのですが、空港についたら寒い!
しょうがないから行き先の大学の購買で長袖のシャツを買おうとしたら、真っ赤なスウェットシャツだけしかなくて、それを着て学会に出たら共同発表者に「そんな格好で発表するの?」って驚かれました。
そういうことがあるから、様々なことに対応できるようにしています。後は、一年半後の仕事の予定が入ったりするので、予定を記入できるカレンダーも大切です。
また、ミステリーの本が大好きなので、オーディオブックスを愛用しています。最近は、ハリーポッターの作者が書いた大人向けの小説を8時間以上かけて聴きました。他にも、傘、レインコート、ポリ袋、飲み物なども入っています。
- イ : 海外経験の多い先生だからこその中身ですね。
- ジュ : あの鞄は収納力がすごくて、買い物とかした荷物もすべてあの中に入るの。
たくさん手に持っているとどこかに忘れちゃうから、ともかく一つにまとめないとダメ。
よくたくさん袋を手に持っている人を見かけるけど、どこかに忘れるから一つにまとめないとダメ。そうすると、だんだん鞄は大きくなるの。
授業の度に素敵なブローチが見られるのでいつも楽しみにしています。かわいいブローチをたくさんお持ちですよね?
- ジュ : ブローチをあちこち行ったときに買ったりしています。今日は、クリスマスが近いからツリーのオーナメント風のブローチ。
- イ : かわいい!素敵なブローチが見られるのも、先生の授業の楽しみの一つです。
武庫女に勤めるきっかけはなんですか?
- ジュ : 武庫川の先生方が自宅に来られて、「大学で教えてくださいませんか?」って頼まれたんです。
私は甲子園周辺に住んでいるんですが、その時「歩いても20分ですよ。近くです。」と言われたのがきっかけです。だから、今も自転車で大学に通っています。
日本に来て、日本語の勉強はどうやってされたんですか?
- ジュ : してないのよ。日本に来た時は読み書きも出来なかったの。その中で、誰かの言葉を真似るというスタイルで日本語を習得しました。
だけど最初の頃は主人の日本語をモデルとしたため、恥ずかしいことに男言葉だったんですよ。
- イ : えー!!
- ジュ : それで、子どもが幼稚園の時に入った母の会で、その会での言葉が分かれば良いなぁと思って、同年代の女性の話し方を一生懸命聴いて習得しようとしました。
最初は半分わかるぐらいの状況だったけど、一年後には70%ぐらいがわかるようになって、「あー!進歩してるな」って感じました。
幼稚園には外国人も多くいたので通訳によくかりだされ、こちらもすごく勉強になりました。
しかし、日本に来て一年半ぐらいは専業主婦だったんです。そしたら頭の細胞が「プツプツ…」って切れていくように感じたんです。
そこで、ハワイに里帰りした時ハワイ大学に行って「何か仕事はないですか?日本語もできないんだけど何かしたい!」と言ったんです。
そしたら英文論文の訂正などの仕事を紹介され、更に日本語の力がついてくると翻訳の仕事をすることになったんです。これが日本語を読めるきっかけとなり、更には科学英語の教育に役立ちました。
母の会、PTA、英語の教育学会などの学術団体に参加して、気がつけば今では英語教育学会の関西支部長になってるんです。
学会では、どうしたら大学教育をより良く出来るかを考えるんですが、とてもわくわくして面白いですよ。
今、世界では即戦力のキャリアレディが求められているんです。今さら鎖国はできませんので、英語が出来なかったらビジネスが出来ません。
そうなると大学を出ればある程度の英語能力が求められることになりますが、ネイティブスピーカーのような英語ではなく、
エルフ(ELF:English as a Lingua Franca)モデルといものがあって、第二言語として英語を使えるように目指しましょうと言っているんです。自信を持って英語を使えるようになってほしいですね。
どうしたら、第二言語として英語を使えるようになりますか?
- ジュ : 使うことです。聴くことからスタートさせたら良いですよ。聴けたら真似をすることができますよね。
私も日本語のシャワーの環境にいたので、ある程度しゃべれるようになったんです。昔、日本語が使えない時に家にセールスの人が来たんです。
だけど、どう断ったら良いのか分からなくて「アタシ ニホンゴ デキナイ」って言ったら、
セールスの人は「この人ちょっと変だ」と思ったんでしょうね、後ずさりして走って行ったんです。
だから当時は、電話やチャイムが鳴るのがすごく嫌だったんです。だけど、ずっと聴いていればそのうち慣れてきて、今だったら上手く断れると思います。
- イ : 自分をそういう環境に置くんですね。
-
ジュ : 日本では英語が日常生活に無いですよね。だから自分で環境をつくらなくてはいけないでしょう?
幸い今はネットで簡単に多くの面白い英語サイトにアクセスできて、英語を見たり聴いたりできるので、是非、沢山聴いてほしいですね。
- イ : 自分にどれだけやる気があるか、そして、英語に触れる機会をどれだけ作れるかで変わってくるんですね。
どうして科学系の英語に携わるようになったんですか?
- ジュ : 私の育ったハワイの家の玄関に咲いていた酔芙蓉の花が昼と夕方で色が変化することに興味があって、
高校生の時に各校から1人ずつ大学に行って研究するという制度があって、花の色調変化を研究したのが科学に興味を持ったきっかけですね。
また、私の通っていた大学は、世界各国の研究者が集まっていて、よく英文の訂正を頼まれました。
その後、主人と結婚して日本に来て、たまたま行った日本の学会で、今私たちが使用している英語を研究できるコーパスツールの話を聴いてとても興味を持ちました。
それがきっかけでイギリスの大学で研究し、博士論文を書きました。
日本で科学英語を教えてほしいと頼まれた時には、科学英語の必要性を感じていたので快く承諾しました。
しかし、当時は科学英語の教育の枠組みがないため参考になる教材が少なく、どうすればわかり易く、学生のためになるかわからず試行錯誤しました。
最初は、母に連絡して私の学生時代の教科書を日本に送ってもらい、科学英語の独特の表現を教えることができる教材を自分で作るようにしました。
そして、出版社にもかけあって、学生さんが興味を持って学べて、実力も身に着く教科書を作ろうと思いました。
情報があふれている現在では、いかに必要な情報を相手に伝えることができるかが重要です。その土台とも言えますね。ちなみに、皆さんは新聞をどのように読みますか?
- イ : まず一面の記事にざっと目を通して、気になる記事だけをピックアップして読みます。
- ジュ : そうでしょう?論文もそれと同じで、ざっと目を通して気になるものだけが読まれるんです。
いかに相手に研究の趣旨を伝えられるかがカギとなってくるんです。このような英語の教え方、学び方はESP (English for Specific Purposes)、目的別英語教育、と言います。
武庫女生に伝えたいことはありますか?
- ジュ : この大学は適度なゆとりと守られた環境があり、しっかりと自分の力をつけることができると思います。
皆さんにはしっかり力をつけて外に出て、自分の夢に向かって人生を楽しみ、そして、周りも楽しませ、世の中をより良くしてほしいですね。
海外に行っていつも思うのは、日本人は良いものをたくさん持っているのに、人に説明することやシェアすることが苦手なんです。
もう少し、日本の良さを理解してもらえるように、気持ちを伝えられるようになってほしいです。そしたら世の中全体がもう少し良くなるのではないかなと思うんです。
- イ : ありがとうございました。
(2012年12月8日インタビュー)
